こんにちは。3回生のセッタです。
さて、今日は今週24日にあったゼミの様子の報告です。いつものように課題発表をしました。
まずは、先週に引き続き紙コップの課題から。
先輩発表として、前回の宇宙食堂のように、再び内藤さんが課題を発表してくださいました。
内藤さんの再構築は、紙コップをいろいろなキャラクターに見たてて行う人形劇でした。内容は、ギリシア神話の「オイディプス」。内藤さんの迫真の演技もあって、メンバー一同真剣な眼差しで話の行方を見守っています。
紙コップを立てるだけではなく、ぐしゃりと潰されていたり、横向きになっていたりと、様々な使い方をされていたのが印象的でした。少しでも紙コップが紙コップであることを忘れられれば、とのことで制作されたこの劇ですが、内藤さんの演技力のせいか、個性豊かにつくられた紙コップの人形のせいか、本当に紙コップたちが表情豊かであるかのように感じました。紙コップでできた人形というよりは、映画やドラマに出てくる演技できる動物のようなイメージが重なりました。
ここで紙コップはおしまい。課題発表を通して感じたのは、紙コップが他のものをつくる素材であると見るか、その形をしたそれであると見るかで課題を解く方向が変わってくるということでした。「再構築」という言葉の定義に囚われすぎず、見つめる目を変えてそれを見てみると、様々なアイデアが浮かぶものかもしれないなあ、などと考えていました。
ここからは、「りんごかもしれない」「◯◯かもしれない」の課題発表です。
当たり前であることを当たり前とせず、他の角度からものを見つめ直してみる。では、このりんごはなんだろう?この◯◯は?と立ち返って考えてみる。そんな課題でした。
最初の発表は私でした。なんとなくいつも一番か二番に発表をしてしまいます。後になると自信がなくなってしまうのが理由なのですが…笑
「りんごかもしれない」で一番に考えたのは「りんごかもしれない、という考え方がいつ生まれるか」でした。りんごの要素を赤い、丸っこい、甘酸っぱい、シャクシャクとした食感、木になる…といくつか挙げ、この要素が欠けたそれはりんごなのか?と問いかけてみました。例えば、味は同じで形も同じ、色だけが青いもの、味も形も色も同じだけど、岩場に貝のようにできるもの。「りんごじゃないかも…でも、りんごかもしれない」と思いませんか?私たちはひとつのものをそれであると判断するとき、要素がひとつ変わったときでも総合的にものを判断しているということに気づきます。整形したら別人か?という話に似ています。何をもってそれとするのかはすごく個人に委ねられているとも言えますね。
次はバンドマンの山本ヤスタカくん。彼はバンドでオリジナルの曲をつくることがあるそうで、今回は彼がつくったオリジナルのメロディフレーズをいろいろな「かもしれない」に当てはめて発表してくれました。
ファンクかも、ポップかも、メタルかも、ジャズかもしれない…。同じメロディが山本くんのアレンジによっていろいろな表情を見せていました。山本くんによれば、曲づくりは子育てに似ているそうで、生まれたばかりの曲はこちらの意思で「ジャズにしてやるぞ〜」と育てていくのですが、途中からは曲の方が意思を持ち出すように「俺はポップになるんだ!」と曲自身がその方向に向かって育っていくそうです。こちらがつくり始めた曲なのに、いつの間にかつくらされているように感じると話していました。聴かせてくれたフレーズはまだ生まれたてであるため、これが最終的にどう育つかは山本くんには決められないし、わからないそうです。
作品は作者によって生み出されながら、作者とは違う存在である。「作品につくらされている」感じは覚えのある感覚だという人もいるのではないでしょうか。
そして本日最後の発表者は栗林みはるちゃん。「他人は私かもしれない」について話してくれました。
彼女は、人とコミュニケーションをとるのが苦手かもしれない、と感じ始めていた頃、他人も私かもしれない、と考えることでその苦手を克服したそうです。例えば、嫌な人の嫌だなと感じる部分は自分にもある部分かもしれない、私ったら〜と思うことで気持ちが楽になるそうです。また、自分がプログラミングが苦手だとしても、上手な人がいれば、私にだってできるじゃんと考えれば自分のできることの可能性を広げることもできるそう。
もちろん他人との違いは多少認めなくてはならない場面もあるでしょうが、彼女の考え方を真似することで、今抱えている不安を和らげられる人もいるかもしれませんね。
りんごかもしれない、と、◯◯かもしれない、の発表はまだ続きます。メンバーの発表を聞いていると、そんな風に課題を解くことができるのか!といつも驚いてしまいます。私にはなかった考え方だな〜とか。そんなこんなで全員の発表が終わる頃にはしょぼくれているので、まだ今は最初の方に発表したいものです。笑